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古文
松尾芭蕉(奥の細道)宮城
多賀城跡
多賀城は、古く奈良時代から平安時代にかけて北方の守りの拠点だったところです。壺の碑は、多賀城南門近くのお堂の中にあり、芭蕉は古人の心にふれ涙をこぼしたと記しています。

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古文
松尾芭蕉(奥の細道)宮城
松島
奥の細道の序文にも「松島の月まづ心にかかりて」とあるように、芭蕉は松島の地にたいへんな憧れを抱いていました。文中、「およそ洞庭・西湖を恥ぢず」と中国の景勝と比べてもひけをとらないと表現していますが、なぜか句は残していません。

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古文
松尾芭蕉(奥の細道)宮城
松島の雄島
松島海岸に接するように朱塗りの橋でつながれた雄島があります。かつて修行の僧がこもったと伝えられる洞窟や岩壁に仏像があり、ここが修行の地であったことを偲ばせています。

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古文
松尾芭蕉(奥の細道)宮城
出羽街道中山越え
旧出羽街道は、尿前の関から中山越えにかかり、出羽の新庄領に抜ける道です。芭蕉は中山越えの道を急いだのですが、尿前の関は、旅人がまれにしか通らない所なので役人に怪しまれ、やっとの思いで越えることができた関所です。

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古文
松尾芭蕉(奥の細道)宮城
尿前の関
芭蕉は鳴子から出羽街道中山越えの道を山形方面に向かいました。途中の尿前の関では、関守に怪しまれてなかなか関を越せませんでした。出羽街道は、ここから険しい道のりになります。奥の細道の中でも最大の難コースでした。

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古文
松尾芭蕉(奥の細道)宮城
尿前の関 芭蕉像
奥の細道の尿前の関の部分でこう記しています。「此道旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。」ここは伊達領と新庄領の間の関所で、この文章からも芭蕉一行は、相当厳しい吟味を受けたことがうかがえます。

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古文
松尾芭蕉(奥の細道)宮城
尿前の関 芭蕉句碑
蚤虱馬の尿する枕元 奥の細道には「小黒崎・みづの小嶋を過て、なるごの湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越むとす。」とあります。尿前の関には、木立の中に古い句碑が建てられています。

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古文
松尾芭蕉(奥の細道)宮城
鳴子峡谷
鳴子峡谷の谷は深く、芭蕉と曾良はこの中山越えの道を進むのに、大変な苦労をしました。現在は復元整備されていて、観光シーズンにはたくさんの人がハイキングや奥の細道の探索に訪れています。