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古文
松尾芭蕉(奥の細道)新潟
出雲崎
出雲崎は、当時佐渡の金山でとれた金を荷揚げし、江戸へ運ぶ要衝の港として賑わいを見せていました。芭蕉は7月4日(陽暦8月18日)ここ出雲崎に着いています。

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古文
松尾芭蕉(奥の細道)新潟
出雲崎 芭蕉園
荒海や佐渡に横たふ天の河 「日すでに海に沈んで、月ほのくらく、銀河半天にかかりて、星きらきらと冴へたるに」と芭蕉は出雲崎の印象を記しています。画像は出雲崎にある芭蕉ゆかりの芭蕉園と芭蕉像です。

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古文
松尾芭蕉(奥の細道)新潟
親不知子不知
日本アルプスが断崖となって日本海に落ち込むこの一帯は、昔から旅人を苦しめた難所でした。激しくうち寄せる波のために、親も子も、お互いをかえりみることができないところから、親不知子不知の呼び名がついたといわれています。

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古文
松尾芭蕉(奥の細道)新潟
市振関所跡
当時、市振には関所があり、幕府や藩の役人が旅人の監視を行っていました。芭蕉の新潟での最後の宿泊地です。この関所跡のすぐ近く、桔梗屋に宿を取った芭蕉は、遊女たちと泊まりあわせるという経験をします。

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古文
松尾芭蕉(奥の細道)新潟
市振 桔梗屋跡
一家に遊女も寝たり萩と月  市振で、芭蕉は伊勢参りの遊女二人と桔梗屋に泊まり合わせます。翌朝、遊女たちから、心細いのでついて行かせてくださいと頼まれます。しかし芭蕉は、お気の毒ですがと断っています。