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古文
紀貫之土佐日記1
土佐国府の碑
紀貫之は足かけ五年、ここ土佐国府に土佐守として赴任していました。そして承平四年(934年)任期を終えて土佐から船で京の都に向かいます。画像は南国市比江にある土佐国府跡の碑です。

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古文
紀貫之土佐日記1
土佐国司館跡
紀貫之は、この地で亡くした娘を思い「都へと思ふをものの悲しきは 帰らぬ人のあればなりけり」と詠んでいます。南国市比江に残る土佐国司館跡には、この歌を刻んだ歌碑が建てられています。

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古文
紀貫之土佐日記1
船戸 紀貫之舟出の地
紀貫之一行は、高知の船戸から船で出発します。館を十二月二十一日に出て、船が出る船戸で一週間、別れを惜しむ人たちとの交流が続きました。お世話になったお礼や、旅の安全へのお祈りなど、土佐の人々のもてなしを受けています。

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古文
紀貫之土佐日記1
桂浜
土佐日記には「今宵浦戸に泊まる。藤原ときざね、橘のすえひら 異人々追ひ来たり。」とあり、見送りの人々が後を追って来ています。当時の浦戸は、いま有名な桂浜あたりだったといわれています。

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古文
紀貫之土佐日記1
大湊(前の浜)
「廿八日 浦戸より漕ぎ出でて大湊をおふ。この間に、早くの守(前任の国司)の子山口のちみね、酒・よきものども持て来て、船に入れたり。ゆくゆく飲み食ふ。」とあります。大湊という地名はいまは無く、ここ前の浜と推定されています。

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古文
紀貫之土佐日記1
奈半の泊(奈半利)
「十日、今日はこの奈半の泊に泊まりぬ。」と書かれているのは、現在の奈半利です。「男も慣らはぬはいとも心細し。まして女は船底に頭をつき当てて哭(ね)をのみぞ泣く」とあり、旅はほんとうに危険でした。画像は現在、町に立つ土佐日記の記念碑です。

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古文
紀貫之土佐日記1
室津
一行は十一日の明け方、暗いうちに奈半泊を出て室津に向かいます。画像は古くからある室津の漁港です。一行は悪天候のために、九日間もここで足止めされています。

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古文
紀貫之土佐日記1
室戸岬
室戸岬をまわれば、いよいよ土佐湾を抜け、紀伊水道へと船が進みます。都も近くなるという気持ちがはやります。しかし、一行は荒天のために、九日間も室津で過ごしています。