[注意]利用規約を未読の方は、画像等をご利用になる前に必ず利用規約をお読み下さい。


動画
t-bci1.mpg
320×240、 2.75MB

みつめよう私たちの国土城のある町安土・桃山の名城
安土城(滋賀県)
織田信長が武家政権の象徴として天正4年(1576年)から起工、同9年秋頃にほぼ完成させた。総石垣造りで、世界で初めての木造高層建築・七重の「天主」と名付けた天守建築をあげた。本能寺の変で焼失。安土城内に建立された、そう見寺には三重塔が現存。肖像画は織田信長。

動画
t-bci2.mpg
320×240、 2.75MB

みつめよう私たちの国土
城のある町安土・桃山の名城
小田原城(神奈川県)
伊勢新九郎宗瑞(後の北条早雲)から始まる北条氏の本拠。箱根外輪山が最も東方に突き出た八幡山を本城に、城下町と周囲と山林、田畑まで包囲する延々12km以上の惣構(そつがまえ)という堀と土塁をめぐらす。

動画
t-bci3.mpg
320×240、 2.75MB

みつめよう私たちの国土城のある町安土・桃山の名城
篠山城(兵庫県)
丹波篠山盆地の中央に慶長13年(1608年)徳川家康の命により壮大な城郭が西国諸大名の助役で築かれ始めた。中国地方の豊臣恩顧の大名たちと大坂城の豊臣秀頼との間を分断する形での築城だった。本丸跡には、青山神社が建てられ、藩主であった青山氏がまつられている。

動画
t-bci4.mpg
320×240、 2.75MB

みつめよう私たちの国土
城のある町安土・桃山の名城
膳所(ぜぜ)城(滋賀県)
慶長6年(1601年)徳川家康は大津城にかわる東海道、北国道、琵琶湖水運を押さえ、かつ大坂城の豊臣勢力を封じ込める築城を膳所になした。藤堂高虎が縄張し、諸国の大名たちに助役を命じ、天下普請第一号となった。

動画
t-bci5.mpg
320×240、 2.75MB

みつめよう私たちの国土
城のある町安土・桃山の名城
駿府城(静岡県)
駿府城は駿河国守護今川氏の本城、武田氏の支城、豊臣大名時代の徳川家康の居城を経て慶長10年(1605年)家康の隠居城となった。家康は西国大名たちに築城工事を分担させ、華麗な建造物を造営した。本丸跡には徳川家康の銅像が立っている。

動画
t-bci6.mpg
320×240、 2.75MB

みつめよう私たちの国土
城のある町安土・桃山の名城
二条城(京都府)
二条城は、武家政権の御所として造営された。徳川家康は関ヶ原合戦の翌年から慶長8年(1603年)にかけ今日残る二条城東側の二の丸部分を築城。ついで三代将軍家光より後水尾天皇行幸のため本丸を拡張。

動画
t-bci7.mpg
320×240、 2.75MB

みつめよう私たちの国土
城のある町安土・桃山の名城
明石城(兵庫県)
山陽本線明石駅前に三重の二基の櫓が聳える。高石垣上の櫓と塀は端正で美しい。城は姫路城に次いで徳川政権が西国鎮護の城として池田輝政らを助役させ築いた。姫路の白鷺城に対し、鶴城と称した。

動画
t-bci8.mpg
320×240、 2.75MB

みつめよう私たちの国土
城のある町安土・桃山の名城
高田城(新潟県)
高田城は、春日山城にかわり堀氏が築城した福島城があまりに海に近く、風水害に見舞われたので、徳川家康により日本海側最大の軍事拠点として築かれた。築城は伊達政宗などが助役し、家康六男松平忠輝が入城した。

動画
t-bci9.mpg
320×240、 2.84MB

みつめよう私たちの国土城のある町安土・桃山の名城
岡山城(岡山県)
岡山城は下見板張で柿渋塗りの黒い壁なので“鳥城(うじょう)”と呼ぶ。宇喜多直家が天正元年(1573年)に着工、完成するのは小早川秀秋を経て、池田忠継の代であった。天守や櫓門(不開門)が復元されている。

動画
t-bcia.mpg
320×240、 2.75MB

みつめよう私たちの国土
城のある町安土・桃山の名城
広島城(広島県)
豊臣秀吉の大陸出兵である半島侵攻の折、秀吉御座所として築城。のち毛利氏歴代の本城として明治に至った。天守は慶長4年(1599年)に二基の小天守と共に建てられたが、原爆で倒壊。コンクリートで復元された。

動画
t-bcib.mpg
320×240、 2.75MB

みつめよう私たちの国土
城のある町安土・桃山の名城
越前大野城(福井県)
亀山に聳える石垣上に復興天守がある。この山上の石垣は金森長近により天正8年(1580年)から築き始められ、織田秀雄の頃に一応の完成を見た。山上部は安永4年(1773年)に焼失。以後は麓のみを城郭とした。

動画
t-bcic.mpg
320×240、 2.77MB

みつめよう私たちの国土
城のある町安土・桃山の名城
和歌山城(和歌山県)
昭和20年空襲で焼失、復元された和歌山城は天守曲輪に相当。並立する型で御殿が営まれた本丸の丘がある。この部分の石垣は総て浅野氏時代の緑泥片岩を用いる。紀州徳川家時代の麓の石垣とは異なる。

動画
t-bcid.mpg
320×240、 2.75MB

みつめよう私たちの国土城のある町安土・桃山の名城
仙台城(宮城県)
伊達政宗が慶長5年(1600年)12月より築城。天守は幕府に対する配慮から無く、本丸に三重櫓を三基並べた。平成9年末に本丸から政宗時代の石垣が見つかり話題となる。肖像画は伊達政宗。

動画
t-bcie.mpg
320×240、 2.75MB

みつめよう私たちの国土
城のある町安土・桃山の名城
白石城(宮城県)
今日復元された天守は会津若松城主蒲生氏郷が支城にあげた外容に基く。その後、伊達政宗の重臣片倉景綱が城主となり、片倉氏が歴代城主となる。天守は江戸時代には御三階櫓と称していた。要所に盛時の石垣が残る。

動画
t-bcif.mpg
320×240、 2.06MB

みつめよう私たちの国土城のある町安土・桃山の名城
伏見城(京都府)
文禄元年(1592年)8月、豊臣秀吉は隠居所として伏見城を築き始める。しかし慶長元年(1596年)7月大地震が襲い崩壊。改めて木幡山(こばたやま)に新城を築いた。今日、木幡山の新城は無く、明治天皇陵がある桃山の丘となっている。