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みつめよう私たちの国土
城のある町天守建築が残る城
弘前城(青森県)
津軽氏歴代の居城。慶長16年(1611年)に津軽信牧(のぶひら)が築城した折、本丸西南に五層の天守が建てられたが、まもなく焼失。文化5年(1808年)に辰巳櫓(たつみやぐら)を改造し、「御三階櫓」と称する天守とした。丑寅(うしとら)櫓、大手門などが残る。

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城のある町天守建築が残る城
松本城(長野県)
大天守の北には二層の渡櫓(わたりやぐら)で結ばれる三層の乾(いぬい)小天守、東側には二層の辰巳(たつみ)櫓と月見櫓が鈎の手に連なる。黒門が復元されている。

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城のある町天守建築が残る城
丸岡城(福井県)
古式な望楼(ぼうろう)式二層三階造り。築城は柴田勝家の甥(おい)勝豊による。江戸時代には青山氏、本多氏、有馬氏など城主が激しく入れかわった。

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犬山城(愛知県)
三層四階の天守は美しい景観から荻生徂徠により「白帝城」と名付けられた。創築は織田信長の叔父信康が天文6年(1537年)に行い、今日残る規模になったのは平岩親吉、成瀬正成の江戸時代の初めのこと。

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彦根城(滋賀県)
慶長9年(1604年)、佐和山城の井伊直継が築城し、井伊氏の居城とした。築城工事は徳川家康が西国大名に手伝いを命じた「天下普請(てんかぶしん)」で、中山道と北国街道、琵琶湖水運を押さえるための城郭。

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姫路城・天守(兵庫県)
天守は五層八重の大天守と三基の小天守が二重多聞櫓で結ばれる連立式と呼ぶ型。白亜総塗り込めで屋根瓦の繋ぎ目にも白漆蝕を盛り、土戸、格子、破風飾りも白亜に仕上げられる純白の外容。白鷺城と称された。

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姫路城・全体(兵庫県)
最も多くの城郭建築が残っているのが姫路城。今日残る建築群は、羽柴秀吉らのあと徳川家康の女婿となった池田輝政が入城、さらに家康の孫女(まごむすめ)千姫を迎えるため改築した本多忠政、忠刻(ただとき)時代のもの。

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備中松山城(岡山県)
海抜430mの臥牛山(がぎゅうさん)山頂に天守と二重隅櫓が残る。大手口の高石垣はみどころのひとつ。天守は山城特有の二層二階で、高い山頂にあるから、高層にする必要はなかった。

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松江城(島根県)
別名千鳥城天守は堀尾吉晴が慶長12年(1607年)に建造。大入母屋が二層、三層平側(ひらがわ)に千鳥破風を配す。平成13年春完成をめざして、多くの櫓、堀などが復元工事中である。宍道湖の水を堀に取り込んでいる。

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丸亀城(香川県)
瀬戸内海に臨み、城中に港を持つ海城。三層三階の天守が残る亀山山頂は海抜65m、石垣が何重にも積まれる。この石垣は総高で日本一の規模。天守のほか大手門が残る。

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城のある町天守建築が残る城
高知城(高知県)
高知城は全国で唯一本丸が完存する城である。山内(やまのうち)一豊が関ヶ原合戦の戦功で土佐一国の太守として入封。大高坂山に築城したのが始まり。望楼型の天守のほか大手門が残る。

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伊予松山城(愛媛県)
慶長7年(1602年)加藤嘉明が築き始めた山城。標高132mの勝山々頂の本丸に隣接し、当初は五層の大天守があがっていた。今残る天守は嘉永5年(1852年)に再築された三層建物。

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宇和島城(愛媛県)
実に均整されて美しい天守である。唐破風の玄関が付属する独特の外容もこの天守の特徴。築城は文禄4年(1595年)に藤堂高虎によった。敵を欺くための五辺形の縄張(なわばり)、港を城内に設けるなど高虎らしい城構え。