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みつめよう私たちの国土お寺・神社(近畿)京都府(き〜と)
清水寺・仁王門
金閣寺や二条城と並ぶ、京都の代表的な建物。仁王門は檜皮葺き入母屋造の楼門で、京都で最大のもの。征夷大将軍坂上田村麻呂が桓武天皇からこの地を賜って開いたといわれる。田村麻呂の喉を潤した清水から清水寺と名付けられた。

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清水寺・本堂
現在ある本堂や経堂、開山堂は徳川家光の命により再建された。清水山を背景にした舞台造りの本堂は“清水の舞台”として知られる名刹。断崖上にあるため、舞台造りといわれる139本の束柱に貫を組み建物を支えている。

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清水寺・音羽の滝
清水寺本堂東側の長い石段を下ると、清水(きよみず)の名の起こりとなった清水(しみず)が三条の筋となって落ちる「音羽の滝」がある。清水を飲むと、それぞれ長寿、金運、学問に御利益があるが、2つ以上飲むと御利益はなくなるといわれている。

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慈照寺銀閣・東求堂
銀閣寺と呼ばれ親しまれているこの寺は、当時の最高の技術を駆使して造営された。東求堂は初期書院造の典型で、足利義政の持仏堂として建てられた。観音殿の完成を待たずして没した義政の法号に因んで慈照寺となった。

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慈照寺銀閣・銀閣
足利義政の東山山荘を、その意志に従って寺とした。庭の中心となる錦鏡池の東側から見る銀閣は、水面に影を落とし松の緑とのコントラストがことのほか美しい。銀閣寺に代表される東山文化は「わび」「さび」の世界である。

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慈照寺銀閣・向月台
室町時代を代表とする東山文化最盛期の将軍、足利義政の寺。富士山型に砂を盛り上げた向月台と、手前に広がる銀沙灘の造形には目を奪われる。観音殿の完成を待たずして没した義政の法号に因んで慈照寺となった。

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栂尾山高山寺・堂
天台宗の道場だった度賀尾寺に始まり、後鳥羽上皇の院宣により明恵上人が建永元年(1206)華厳宗興隆の道場として再興し、高山寺と号した。入母屋造の本堂は、柿葺き(こけらぶき)の鎌倉初期の様式を示す住宅風建築である。

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知恩院・阿弥陀堂
浄土宗の総本山で、法然ゆかりの寺である。阿弥陀堂は伽藍の中で明治時代に建てられた唯一の建造物で、高さ2.7mの本尊阿弥陀如来座像が祀られる。堂正面には後奈良天皇の宸筆による寺号「大谷寺」という勅額がある。

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知恩院・梵鐘
法然ゆかりの寺である。13世紀の前半、弟子の源智は廟堂を修復し、堂舎を建てて知恩教院と号し、法然を開基とした。境内の南側にある大鐘は重さが約80トンあり、大きな法要があったときにだけ僧侶が17人掛かりでつく。

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東寺(教王護国寺)・講堂
平安遷都の際、羅城門の東西に寺が建てられた。東に建てられた教王護国寺は東寺と呼ばれている。講堂は空海によって建てられたが当初のものは焼失した。現在のものは延徳3年(1491)に再建されたもので、重要文化財に指定されている。