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みつめよう私たちの国土お寺・神社(近畿)京都府(と〜へ)
等持院・庭園
足利尊氏が夢窓国師を招いて中興し、尊氏の死後は歴代足利将軍の菩提所となった。夢窓国師の手になるといわれる庭園は、西の芙蓉池と東の心字池の2つからなり、室町時代の様式をわずかに残している。

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等持院・足利義昭像
足利氏ゆかりの古刹。足利尊氏が夢窓国師を招いて中興し、尊氏の死後は歴代足利将軍の菩提所となった。足利幕府衰退にともない、この寺院も荒廃した。霊光殿には、足利歴代将軍の木造が安置されている。

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西本願寺・唐門
東本願寺とともに浄土真宗の寺院。親鸞上人によって開かれ、豊臣秀吉からの寄進で現在地に移った。檜皮葺きの門は、桃山時代の豪華な装飾を施した唐破風の四脚門である。その見事さに見とれるあまり、日が暮れるのも忘れることから、日暮らし門とも呼ばれる。

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西本願寺・阿弥陀堂
東本願寺とともに浄土真宗の寺院。親鸞上人によって開かれ、豊臣秀吉からの寄進で現在地に移った。御影堂と廊下でつながった本堂には阿弥陀如来が祀られ、阿弥陀堂と呼ばれる。他に祖師七師、聖徳太子影像が安置されている。

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仁和寺・金堂
仁和4年(888)宇多天皇によって創建され、明治維新まで皇子皇孫が門跡を務めた。本尊の阿弥陀三尊像を祀る金堂は京都御所より下賜されたもので、屋根を瓦葺きにしたり内部に須弥壇を設けた程度の変更しかなく、寝殿造りの様式を今に残している。

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仁和寺・五重塔
仁和4年(888)宇多天皇によって創建された仁和寺(にんなじ)は、明治維新まで皇子皇孫が門跡を務めた。高さ33mの五重塔は江戸時代に建てられたもので、各層の屋根の大きさがあまり変わらない近世の様式を伝えている。

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平等院・鳳凰堂
宇多法皇や源重信が営む別荘を藤原道長が購入し、宇治殿としたのを子の頼道が永承7年(1052)に寺に改めた事に始まる。国宝の阿弥陀堂は、その姿が翼を広げた鳳凰に似ていることや、屋根の両端に鳳凰をのせていることから鳳凰堂と呼ばれている。

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平等院・十三重石塔
このような石造塔は墓塔や供養塔として建てられたもので、奇数重となっている。もともと多重塔は古代インドで仏舎利を祀るストゥーパが、中国の楼閣建築と融合して作られたものだといわれている。日本では石造塔は小規模なものしか見られない。

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平安神宮・応天門
平安遷都を記念して明治28年(1895)に建立された。平安京大内裏朝堂院の形式を模した、社殿と二層楼門形式の応天門は、“丹塗り”という朱色の建物に碧瑠璃の瓦を乗せる。平安京の主だった建物はこの瓦で葺かれていたと言う。

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平安神宮・大極殿
平安遷都を記念して明治28年(1895)に建立された神社。工学博士の伊藤忠太の設計で、原型の3分の2の大きさで再建された。平安京大内裏朝堂院の形式を模した外拝殿(大極殿)は、桁行き約32mもあり、拝殿としては、日本一の大きさを誇る。

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平安神宮・蒼龍楼
平安遷都を記念して明治28年(1895)に建立された神社。大極殿の両脇には、白虎楼と蒼竜楼が建ち、屋根の上に入母屋造本瓦葺きの、防火の呪術だったといわれる立派な鴟尾を乗せた小楼がある。平安京の主だった建物は碧瑠璃の瓦で葺かれていたと言う。