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静止画
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みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)福井県
大安禅寺・本堂
万治2年(1659)福井藩主松平光通(みつみち)が大愚宗築(だいぐそうちく)禅師に帰依され、松平家の菩提寺として建てた臨済宗妙心寺派の寺。建物はほぼ創建当時のものが残されており、本堂は昭和57年(1982)福井県の文化財に指定された。

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みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)福井県
大安禅寺・座禅堂
万治2年(1659)福井藩主松平光通(みつみち)が大愚宗築(だいぐそうちく)禅師に帰依され、松平家の菩提寺として建てた、臨済宗妙心寺派の寺。この禅寺では一般の人も座禅体験ができる。修行場には禅宗の始祖、達磨大師の絵が掲げられている。

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みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)福井県
大安禅寺・阿吽庭
松平家の菩提寺、大安禅寺の阿吽(あうん)庭は、砂礫を用いて水の流れを表現した枯山水である。「阿吽」とは万物の始めと終わりを象徴した梵語に由来する。

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みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)福井県
剱神社・鳥居
仲哀(ちゅうあい)天皇の第二皇子の忍熊王(おしくまのみこ)がこの地の賊を追討した折に、素戔鳴尊(すさのおのみこと)の御霊代の剣を祀ったのが始まり。織田信長は祖先にゆかりのある越前の土地に熱意を燃やし、この剱神社で戦勝祈願や報告をした。

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600×400、 105.8KB
みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)福井県
剱神社・拝殿
織田家の先祖はこの剱神社の神官を務めた忌部(いんべ)家であり、尾張の国に出てから忌部常昌が初代織田を名乗ったとされる。同じく信長の先祖が神官をしていたという織田神社が、末社として境内にある。本殿は寛永4年(1627)に再建されたもの。

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みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)福井県
剱神社・梵鐘
仲哀天皇の第二皇子の忍熊王がこの地の賊を追討した折に、素戔鳴尊(すさのおのみこと)の御霊代の剣を祀ったのが始まりとされる、織田家ゆかりの神社。奈良時代末期に第四十九代光仁天皇が御奉納になったと伝えられる梵鐘が所蔵され、国宝に指定されている。

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みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)福井県
宝慶寺・山内
道元禅師に従って来朝した宋僧寂円が、弘長元年(1261)ここに草庵を結んだのが始まりと伝えられる。宝慶寺の名は、寂円禅師の座禅を組むお姿を見て、帰依尊信の念を起こした下野守藤原氏が付けたといわれる。

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みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)福井県
宝慶寺・僧堂
道元禅師に従って来朝した宋僧寂円が、弘長元年(1261)ここに草庵を結んだのが始まりと伝えられ、日本曹洞宗第二道場の扁額を掲げる。間口九間の僧堂は座禅等の修行の場として、昭和61年(1986)に新築されたものである。