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みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)長野県(塩田平)
安楽寺・黒門
安楽寺の山門は、その姿から「黒門」と呼ばれる。安楽寺は慈覚大師の開山と伝えられ、鎌倉時代に樵谷惟仙(しょうこくいせん)が中興した信州における最古の禅寺。この地域は塩田平といい、北条義政以下三代が居を構えて領地とし、鎌倉文化を花開かせた。

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みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)長野県(塩田平)
安楽寺・八角三重塔
鎌倉時代に樵谷惟仙が中興した信州における最古の禅寺。八角形の三重塔として現存する我が国唯一のもので、国宝に指定されている。初重に裳階(もこし)があるため四重に見える。

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真田山長国寺・本堂
旧松代藩主真田家の菩提寺で、曹洞宗に属する。棟には真田家の家紋である六文銭が見られる。仏教では死者の棺に冥土への入場料として六文の銭を収めるならいがあることから、真田武士の決死の覚悟を示し、家紋としたものである。

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みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)長野県(塩田平)
真田山長国寺・藩主霊廟
旧松代藩主真田家の菩提寺。北側の霊屋が藩祖信之公の霊屋で、黒漆に金箔を施した、最も結構を極めた荘厳なつくりである。構造は撞木(しゅもく)屋根唐破風付で、破風の鶴の彫刻は名工左甚五郎の作と伝えられる。

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真田山長国寺・藩主の墓
旧松代藩主真田家の菩提寺。献灯が並ぶなか、石の鳥居が付けられた宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、松代藩祖真田信之の墓である。境内には真田家中興の祖である幸隆とその長子信綱、および昌幸、信之らの供養塔が建てられている。また、奥方や側室の墓は別の墓所にある。

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みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)長野県(塩田平)
龍光院・門
鎌倉幕府の重臣であった北条国時により、弘安5年(1282)に月湲(げっけい)和尚を開山として創建。当初は仙乗寺と称して鎌倉建長寺の末寺であったが、後に萬照寺(更埴市小島)の末寺となり、慶長6年(1601)に萬照寺の瑞応が龍光院と改めた。

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みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)長野県(塩田平)
龍光院・本堂
鎌倉幕府の重臣であった北条国時により、弘安5年(1282)に月湲和尚を開山として創建され、塩田北条氏の菩提寺である。当初は仙乗寺と称していたが、慶長6年(1601)に龍光院と改めた。写真正面が本尊を祀る本堂、左は座禅修行を行う僧堂である。

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みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)長野県(塩田平)
北向観音・観音堂
天台宗北向山は天長2年(825)比叡山延暦寺の座主慈覚大師が開創した。寿永元年(1182)木曽義仲の乱によりその殆どを焼失したが、源頼朝の命にて再興。南向きの善光寺に対して、この観音堂が北に面していることから「北向観音」の名がある。

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みつめよう私たちの国土お寺・神社(中部)長野県(塩田平)
北向観音・薬師堂
天台宗北向山は千手観世音菩薩を本尊とし、古来より厄除け観音として信奉が厚い。薬師堂に祀られる薬師如来は薬師経に説く東方浄瑠璃世界の教主で、人々の病苦を救い癒す仏である。