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動画
p-178.mpg
320×240、 2.44MB

歴史記録映像
昭和17〜18年昭和17年中期頃
バターン半島の戦い
1942年4月9日、フィリピンのバターン半島の戦いで、米軍が日本軍に降伏。後に日本軍は、捕虜に収容所までの約100kmを炎天下徒歩行軍させ、多くの死者を出し、「バターン死の行進」と呼ばれた。この映像は、バターン半島で降伏した多数の捕虜の状況をつたえるもの。

動画
p-179.mpg
320×240、 2.46MB

歴史記録映像昭和17〜18年昭和17年中期頃
米陸軍機本土初空襲
1942年4月18日、ドゥリットル中佐指揮のB25、16機によって日本本土が初めて空襲された。被害は軽微だったが、国民にあたえた心理的影響は大きく、これがミッドウェー攻撃の原因となった。映像は、日本を空爆する米軍機。

動画
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320×240、 2.44MB

歴史記録映像
昭和17〜18年昭和17年中期頃
マニラ湾コレヒドール島の米軍降伏
1942年1月2日、米軍はマニラを放棄して、バターン半島の先端コレヒドール島を死守したが、5月7日、日本軍の増援部隊が進撃し、マニラ湾コレヒドール島の米軍は降伏。映像は、上陸する日本軍、コレヒドール攻撃に向かう日本の重砲部隊。

動画
p-181.mpg
320×240、 2.47MB

歴史記録映像
昭和17〜18年昭和17年中期頃
連合艦隊司令長官山本五十六
山本五十六は、1939年に連合艦隊司令長官となり、海軍内部の統一につとめた。連合艦隊司令部は独立性を強め、マリアナ沖・レイテ沖海戦で主要な艦艇を失い、事実上壊滅した。映像は、航行する連合艦隊の戦艦。

動画
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320×240、 2.44MB

歴史記録映像
昭和17〜18年昭和17年中期頃
ミッドウェー海戦
1942年4月の本土空襲をきっかけに、日本は太平洋正面の防衛強化のため、6月にミッドウェー島攻略を行った(ミッドウェー海戦)。その結果、アメリカの海・空軍戦力の優勢が決定的になった。この映像は、日本艦隊をアメリカの航空機・機動部隊がとらえたもの。

動画
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320×240、 2.47MB

歴史記録映像
昭和17〜18年昭和17年中期頃
アリューシャン戦線
1942年6月から43年にかけて、日本軍は防衛線拡大のためアリューシャン作戦を行った。いったんアッツ・キスカ両島を占領したが、次々と撤退を余儀なくされた。以降各地の離島日本軍は玉砕の運命をたどった。映像は、米軍機による空襲のようす。