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静止画
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600×400、 81.6KB
吉野ヶ里遺跡(弥生時代)集落(北内郭)大型建物跡
大型建物跡(祭殿)
北内郭の内部では物見やぐら跡や高床住居跡、竪穴住居跡などとともに大型建物の跡が発掘された。戦国時代の壕などによって一部破壊されていたが、元来直径50cmの柱16本からなる高層建物で、祭殿であったものと考えられている。(写真提供:佐賀県教育委員会)
関連資料
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吉野ヶ里遺跡(弥生時代)集落(北内郭)大型建物跡 大型建物跡(祭殿)
英語説明文と日本語訳

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600×400、 63.7KB
吉野ヶ里遺跡(弥生時代)集落(北内郭)大型建物跡
大型建物跡(祭殿)
北内郭の内部では物見やぐら跡や高床住居跡、竪穴住居跡などとともに大型建物の跡が発掘された。戦国時代の壕などによって一部破壊されていたが、元来直径50cmの柱16本からなる高層建物で、祭殿であったものと考えられている。(写真提供:佐賀県教育委員会)

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600×400、 91.9KB
吉野ヶ里遺跡(弥生時代)集落(北内郭)大型建物跡
大型建物跡(祭殿)
北内郭の内部では物見やぐら跡や高床住居跡、竪穴住居跡などとともに大型建物の跡が発掘された。戦国時代の壕などによって一部破壊されていたが、元来直径50cmの柱16本からなる高層建物で、祭殿であったものと考えられている。(写真提供:佐賀県教育委員会)

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600×400、 99.5KB
吉野ヶ里遺跡(弥生時代)集落(北内郭)大型建物跡
遺構実測作業
北内郭の内部では物見やぐら跡や高床住居跡、竪穴住居跡などとともに大型建物の跡が発掘された。戦国時代の壕などによって一部破壊されていたが、元来直径50cmの柱16本からなる高層建物で、祭殿であったものと考えられている。(写真提供:佐賀県教育委員会)

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600×400、 104.7KB
吉野ヶ里遺跡(弥生時代)集落(北内郭)大型建物跡
北内郭出土の中広銅戈
銅戈は本来武器であり、日本で祭器に変化した。北内郭では物見やぐら跡や高床住居跡、竪穴住居跡などと共に大型建物の跡が発掘されたが、写真の銅戈はそれらの建立時、地鎮のために埋納されたと考えられる。(写真提供:佐賀県教育委員会)

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400×600、 105.7KB
吉野ヶ里遺跡(弥生時代)集落(北内郭)大型建物跡
大型建物跡・出土土器 実測図
北内郭の内部では物見やぐら跡や高床住居跡、竪穴住居跡などとともに大型建物の跡が発掘された。戦国時代の壕などによって一部破壊されていたが、元来直径50cmの柱16本からなる高層建物で、祭殿であったものと考えられている。(資料提供:佐賀県教育委員会)

動画
k-ycb7.mpg
320×240、 1.82MB

吉野ヶ里遺跡(弥生時代)
集落(北内郭)大型建物跡
大型建物跡(祭殿)
北内郭の内部では物見やぐら跡や高床住居跡、竪穴住居跡などとともに大型建物の跡が発掘された。戦国時代の壕などによって一部破壊されていたが、元来直径50cmの柱16本からなる高層建物で、祭殿であったものと考えられている。(資料提供:佐賀県教育委員会)